いちいち、音楽を考える。

音楽はフィーリングも大事だけど、いちいち考えてみたくなるんです。

批判しないレビューは、本当に誠実だったのか。

こんばんは。キタダハルキです。

今日はとにかく寒い・室内暑いを繰り返す一日でなかなか大変だったんですが…皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

さて、今日は表題の件について。

批判しないレビューは、本当に誠実だったのか。

私自身がブログの整理をしているときに思ったことを記事にします。

■過去の自分に突きつけられた課題…

私はこのブログをはじめてから10年、毎日更新になってからは2年半程度なんですが…

手前みそながら、毎日レビューをしているということでつく筋力みたいなものは実感としてあります。正直、自分自身でも読み返したりできる質はあると思っているのでこの点はある程度満足しています。

ただ、それゆえの問題点もあって…

仕方がないことではありますが、2年ほど前のレビューのクオリティがまぁ…きつい笑。

昨日はビッフィ・クライロのレビューを入れたことに伴って、そこのリンクを整理するついでに、時系列が繋がっているアルバムのレビューをもう一回読んでみたんですよね。

↓そのレビュー記事がこちら。2年半ほど前に書いてます…

musictherapy.hateblo.jp

そしたらもはや、いま聴いて感じることと当時は真反対のことを言っていましてね。なんでこうなった?と思うレベル。もちろん、そのとき感じたことはそのときのフィーリングなので…とは思う*1ものの、さすがに追記せざるを得ず。

■当時は、好きじゃないテイストになると「無意識」になっていた。

だけど、それだけいまは集中力も上がってきたんだろうと、前向きにもとらえていきたいと思っています。

その真反対のことを言ってしまった原因が、おそらくは自分が好んでいないテイストでスン…ってなって無意識になってしまったこと。その流れの中で彼らに対してこちらが求めているテイストが来た時に「これこれぇ!」という感覚が出過ぎて「期待通りです!」って口走ってしまっていた*2、ということなんでね。

■批判しないレビューは、本当に誠実だったのか。

今思うと…当時、批判をなるべくしない…みたいに思っていたのもあんまりよくなかったかもしれないなと感じますね。そのせいで、好まざるところを無意識に聴き飛ばしてしまって、そこがなかったことになってしまうのはやっぱり違うと思うんですよ。その好きじゃなかったところの有無で、まるっきり反対の話になるのは片手落ちというか…。

昔のどこぞの評論みたいに、意味もなくケチョンケチョンに言うのは良くないですけど、気になったポイントがあったのなら、そこを丁寧に言葉を尽くして表現していくことは誠実性として今後もっと必要になっていくのではないか。

そういう風に、私は思うんですよね。

それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございます。

よろしければ、もう一記事読んでいただけると大変うれしいです。

↓前回の当カテゴリの記事はこちら。買って17年経つ我が家のスピーカーが、良く調べたら実はめっちゃいい品なのでは…?と気づいた喜びを記事にしました。

musictherapy.hateblo.jp

 

*1:なので、数字の間違い的な『事実と違うかもしれないもの』以外は書き直さず残しています。

*2:ビッフィ・クライロを例にすると、いわゆる『アリーナポップス』みたいな作風は個人的にはあまり求めていない。彼らは演奏力が高いからできてしまうけれど…。率直に言えば、当該アルバムを聴き直したときに「えっ?こんな曲あったっけ?」となってしまった。で、その数曲あとに期待通りの変拍子ハードオルタナのような作風がやってきて意識が戻ってきて「これこれぇ!期待通り!」と塗りつぶしてしまった。