やっと、この話をしようと…。
久々にこのブログを書こうと思ったのは、このアルバムに起因する一連の流れについて、どうしても話したいと思ったから。
実は、このアルバムとかそれ以前に、復活したイエモンについては何かしらの話をしようと思っては止め、思っては止め、その繰り返し。考えがまとまらず、モヤモヤしては吐き出し、その繰り返し。
私のイエモンリスナー歴は、正直に言って、熱狂的ファンの方から比べたら全然。
それこそ解散する以前の好きレベルは、アンケートとかでよく見かける「どちらかといえば好き」という程度のモノ。バンド活動を一番熱心にやっていたときでさえ、最重要、のような立ち位置で聴いていたわけではなかった。というか、むしろ「YOSHII LOVINSON」の方が聴いてたぐらい。
その流れが変わったのは、うちの奥さんの紹介でこのアルバムを聴いたとき。
このアルバムを聴いたのが、ちょうど5年前。衝撃を受けて、ドンドン音源を集めてオリジナルアルバムを一気に全部揃え、 どのアルバムも「おおお…こんなにすごかったんや…」と、評価が一気に上がったのはそれこそ昨日のことのように思い出す。
ただ、私はすべてのアルバムを通して聴いて、よほどのことがなければ復活は無理やろう、と思っていた。
解散前のラストアルバムである『8』から伝わってくる「燃え尽きた空気」はそれはもう尋常ではないものだったし、このまま終わっていいのだ、限界までやり切ったんや、と十分すぎるほどに伝わってきていた。その後、活動休止状態が続いた後、敢えて「解散」を選んだことに、大きな覚悟を感じたのはリアルタイムでも記憶に残っていた。
だからこそ、あの「申年」の復活劇には、期待と共に、不安が一気に押し寄せてきた。
もちろん、その期待と不安の正体は同じもので、「ほんまに出来るんか?」ということ。
私はおそるおそる、ネットで公開されていた復活ライブの一発目の「プライマル」を鑑賞…。率直に言って、私の「不安」が的中した格好だった。実は、その以前に全盛期のライブをフルで観れる企画をギャオかなんかでやっていて、そのときに見たエネルギーとは比べ物にならないレベルで「力不足」を感じた。
これは、オレの好きなイエモンとはちゃう…。加齢による変化、ブランク、その他もろもろの要素で納得しようと思ったけれど、芽生えた疑念はごまかせなかった。
ただ、この芽生えた疑念を払しょくするためには、やはり「アルバム」を聴かんと…という思いがあり、どんなに出てくる新曲群にさらに疑念を煽られようと、アルバムを聴くまでは黙っていよう…と思っていた。
ところが、そのアルバムを聴く前に、たまたま聴いていなかった吉井和哉ソロの集大成であるこのライブアルバムを聴いて、疑念はますます確固たるものに…。
このアルバムの最後に、吉井和哉の新曲「Island」が収録されていたのだけれど、この歌詞の内容が衝撃的なモノだった。
http://j-lyric.net/artist/a00117a/l046ac9.html
やっぱり、無理しとるんやないかと。その一方で、イエモンの新曲群のどれよりも「素直な」吉井和哉のリアルを感じたのである。このリアルをなぜイエモンで出さない!と憤ってしまったほどに、実に生々しい感情が伝わってきたのである。
ただ、そんな私でもイエモンの新曲群の中で、唯一「リアル」を感じられた曲がある。
「Horizon」だ。
出されども出されども、新曲群に心が動かなかった私が、この曲だけは聴き終わることなく涙が止まらなかった。EMMAの歌詞を見れば火を見るより明らかで、バンドメンバー…それも特に「吉井和哉」に向けて強く発せられたものではないか。*1
大丈夫僕ら君の味方だよ
そうさいつも君の味方だよ
We must go on !
この曲の吉井和哉は、他の新曲群すべてに漂っている「イエモンらしさ」のようなもの*2にヘンなこだわった形跡がなく、自然に、のびやかに歌えていると感じる。
私個人としては、こういう「無理をしない」イエモンが見たい。というか、イエモンじゃなくてもいい。無理をしないでほしい*3。
活動休止しながら覚悟の上で解散を選び、その結果に過ぎない「ファンをがっかりさせたこと」をまるで「十字架」のように背負い*4、「解散しないからねー」とたびたびライブで発していた吉井和哉。
もう、いいんじゃないか。そういうのは。解散だって自由だよ。